岐阜市立女子短期大学 一回生(初代会長)挨拶 石渡和子

旧制岐阜女子専門学校 生活科 一回生 石渡和子

旧制岐阜女子専門学校 生活科
一回生 石渡和子

桃林同窓会の皆様お元気ですか。私は旧制岐阜女子専門学校生活科一回生の石渡和子と申します。
この度、役員の皆様のご努力と学長様はじめ関係各位のご好意によりまして、桃林同窓会の拠点となる一室を短期大学の構内にお借りすることが出来ました。創立以来始めての事です。そこで先ず全国の皆様と緊がりがもてるホームページを立ち上げることになりました。

思いますと私たち女専の一回生が本学に入学したのは終戦後間もない昭和 21 年 6 月でした。昭和 20 年 7 月の大空襲で焼け野原になった岐阜市、広島・長崎には原爆が投下され戦争では沢山の若い命が失われ、そして 8 月に迎えた終戦「国敗れて山河あり」といいますが、食べるものもない、住む家もない、アメリ力からは進駐軍が続々とやってきていったいこれからの日本はどうなるのか、全く混沌とした時代でした。そのような中で「これからの日本に必要なのは女子の高等教育だ、中部地方には官公立の女子専門学校が一つもない」ということで、当時の松尾国松市長の厚い情熱と有志の方々の並々ならぬご努力で、終戦後 1 年にも満たない昭和 21 年 6 月に「岐阜女子専門学校」が開校の運びになりました。

東京にも大阪にも進学のすべはなく希望を失いかけていた私たちには本当に大きな喜びでした。しかし校舎も借りもの、教科書もままならない、ただただ先生方の情熱と理念の中で学んだ3年間でした。

あれから70年近くの時が流れ、時代も大きく変わり、いまや経済的にも豊な日本となり「高学歴社会」「超少子高齢社会」ともなりました。

私たちは卒業以来夫々の道に進みましたが生活科第一回卒業生 31 名中 4 名が叙勲の栄を受けております。岐阜県では毎年、春・秋 60 人内外の方が叙勲を受けておられますがそのうち女子は毎回数に過ぎません。叙勲は永年社会公共に尽くしたことに対して天皇陛下から賜る褒賞です。僅か 30 人そこそこのクラスの中から 4 人もの叙勲者をだしたこと、これは一重に「これからの日本に必要なのは女子の高等教育」という理念によるご指導の賜物だと思っております。

「旧制岐阜女子専門学校」も昭和 25 年の学制改革をはじめ様々な変革を経て今日の「岐阜市立女子短期大学」があります。

今、新たな社会の進展の中で女性の力が強く求められる時代になりました。

「これからの時代には女子の高等教育が何より必要」という創立の原点にかえって「公立」である「岐阜市立女子短期大学」の在り方を皆様とともに考えてみたいものです。